2025/04/10 06:00
こんにちは。
最近はすっかり「表札」をメインに制作活動を行っていますが、アイアン家具の製作も数は減らしつつも継続しています。
大円商店が作るアイアン家具には愛知県の奥三河というエリアで育った三河杉という木をメインで使っています。
山に育つ木が家具になるまでに、大きく分けて「伐採」と「製材」というプロセスを経て、材木になり我々作り手の元に届きます。家具の材料になる三河材に携わる職人さんたちをご紹介していきたいと思い記事にしました。
今回はその第一弾として「製材」についてをご紹介します。
今回は、大円商店が普段お世話になっている愛知県北設楽郡東栄町にある粟代製材所さんの社長である原田直樹氏に、奥三河という地で製材業を営むことについてを伺いました。
粟代製材所の歴史について
粟代製材所は1948年10月22日に原田氏の祖父によって開業されました。
現在は三代目としてその伝統を受け継いでいます。
粟代製材所は東栄町の古戸(ふっと)という地区に存在しますが、当初は古戸から少し離れた下粟代(しもあわしろ)という地区で創業したようです。
当時は水車を利用して帯鋸を曳いていたと聞いています。しかし立地の悪さから、廃業した古戸の製材所跡地に移転し、現在に至っています。

製材所の業務内容について
製材所は、丸太から板材や角材などを作る工場です。
帯鋸というとても大きなノコギリが付いた製材機に丸太をセットし、丸太を指定のサイズにスライスをしていくイメージです。

山で伐り出された丸太が市場を通じてこの製材所に集まります。
ケースバイケースで山から直接製材所に運び込まれることもあるそうです。
丸い形の丸太からこのように色々なサイズの四角い材木を生産し、家具や住宅の材料となっていきます。
仕事に対する情熱とやりがい
原田氏は、元々は家族で経営していたラーメン屋を継ぎたいと考えていたそうです。
そのために調理師免許を取得し、豊橋市の中華料理店で働いていたほどです。
しかし、長男という立場や実家のラーメン屋の閉店もあり、地元の東栄町に戻り、家業の製材所を手伝うことになりました。
「最初は製材の仕事なんて全っ然興味がなかった!」と力強く話す原田氏。
そんな製材所の仕事ですが、続けるうちに心境が変化し、木材への興味が高まっていったそうです。
特に、材木のより良い乾燥方法の研究や、新たな商品開発に情熱を持つようになり、今では先祖から受け継いだ粟代製材所を未来に残していきたいと考えるようになったそうです。
「今は木を扱う仕事が楽しいと感じている。押し付けるつもりはないけど、、今は自分達の時には考えられないような色んな仕事の選択肢があるが、子どもたちに製材所という楽しい選択肢も提供できたらと思う」
木材加工の魅力を次世代に伝えていくことが、原田氏の新たな目標とのことでした。
奥三河林業の未来
原田氏は、奥三河の林業が衰退傾向にあると感じており、新たな人材の確保が厳しい状況だと述べています。
しかし、林業は地球で暮らすうえで必要な存在であり、将来を考えて行動することが重要だと考えています。
待っているだけでは何も起きず、取り残されてしまうと強調しています。
自ら積極的に行動することが、この地域の林業を守るために必要だと考えています。
地域の事業者や学校と協力し、工場見学などを通じて子どもたちや田舎暮らしに興味のある人々にまず林業を知ってもらい、将来の選択肢として考えてもらえたらと願っています。

また、「木を扱う建築業についても少し危機感を感じている」とも話していて、
東栄町には技術の高い大工さんが多く存在するが、職人の高齢化や地域性、職人気質から、現代のニーズとのギャップを原田氏は感じています。
製材所を通じて築いた人脈を活かし、自らが建築の仕事を取り、町内の腕利きの職人たちと共に新たな仕事をしたいと考えていますが、今は大工の知識がないため難しいのが現状です。今後は建築の知識を身につけることが課題と語っています。
新たな取り組みと未来への展望
数年前のキャンプブームに合わせて始めた無人の薪の直売所が、思いのほか好評で、週末には薪作りに追われるほどの売れ行きとなったそうです。友人や子どもたちと一緒に薪作りをする中で、材木としては扱えない木を無駄なく活用できる喜びを感じているそうです。
「製材業では出会うことがなかった個人のお客さんとの繋がりは今後も大事にしていきたい。」
お金だけではない、素敵な出会いを生み出してくれた無人直売所は今後も大事にしていきたいと楽しそうに語っていました。

さすがは製材所の直売、他ではありえないほどの破格設定!
大変な売れ行きらしく、休日になると在庫はすぐになくなってしまうようで、撮影時にはほとんど売り切れ状態でした。
奥三河の魅力
林業を通じて感じた奥三河の魅力として、原田氏は「やりたいことに対しての自由度が高い」と述べています。
チャレンジする場として最適であり、やろうと思えば何でもできると話します。
これは私も全く同意見で、例えば何かを始めようとしたときにはまず場所が必要になると思います。
チャレンジする場所を与えてもらいやすいというのは、縁もゆかりもない移住者によってとても大きなメリットだったと感じています。
プライベートでは、田舎の生活に魅力を見出しているそうです。
焚火や地域のお祭り、空いている道などが肌に合っていると語り、「不自由なところに自由がある」と考えています。
不自由の中に自由を見つけることで、人生がより充実するというメッセージが印象的です。

今回は東栄町にある粟代製材所社長の原田直樹氏にご協力いただきました。
木材加工や林業の魅力、田舎暮らしの楽しさが少しでも伝われば幸いです。
これからも東栄町で築き上げた伝統を大切にしつつ、新たな挑戦を続ける粟代製材所の発展が楽しみにしています。
家具の材料になる三河材に携わる職人さんたちをご紹介していきたいと思い記事にしました。
次回は山の木を伐り出す「木こり」さんにお話を伺いたいと思います!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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